深い森の尾根を仲間とともに歩いてきた。
尾根の右下は名だたる危険な沢だった。
間違っても沢に下りることはできない。
尾根は取り付きから急峻で先には大岩があり、
その大岩が今日の目的地だった。
大岩のてっぺんに立つには、取り付けられた鎖だけでは頼りなく、
仲間のザイルが必要だった。
先に登った仲間が木の枝に身体を確保して、ザイルを投げてくれた。
鎖とザイルにつかまり、ツルツルと滑る岩を這い上ったら、
あたりの景色は霧で覆われていた。
記念写真を撮ろうとしたらいきなり雨が降ってきた。
景色を見る暇などなかった。
雨がひどくなったらこの岩を下るのは危険だ。
写真も撮らず、追われるように鎖とザイルで岩を下った。
意外に下りは楽だった。
なぜか降りた途端に雨が止み、雨は岩の上だけに降ったようだ。
まるで洗礼の儀式のような一瞬の雨。
緑の森は何か私に伝えたかったのか。
危険というものがどんなものか教えたかったのか。
洗礼は何のためのものだったのか。
岩の誘惑から逃げられないという暗示だったのか。
下った岩の鞍部でお昼にした。
みんなで今日の山行を喜び合った。
私たち以外誰もいない静かな尾根だった。
今もしじまの中で、あの岩は静かに夜空を支えているはずだ。