そこは山の中の一軒宿?風の施設で、
10年ほど前にそばに位置する小さな尾根を辿ってここへ下りたことがあった。
時間があったので、その時、疑問に思っていた道を少し歩いてみることにした。
車を置いて尾根に辿る道を探すと、すぐに立派な山道があった。
標識はないけれど、ここに違いない。
あの時はこのま道を下りたのだ、ここから上ろう。
手に持ったスマフォに地図は落としてある。
その地図に沿って自分の現在地を確かめながら歩く。
ものの5分ほどで駐車場を見下ろす小尾根に着き、
そこにはちゃんと標識が立っていた。
左に進むと主尾根につながり、右は行き止まりとある。
雨上がりの濡れた尾根道を鬱蒼と囲む緑の森は心地良かった。
すぐに何やら立ち木に山頂標識のかかった場所に着いたのでお昼にした。
出発してから30分も経っていない。
緑色の鮮やかな苔の上に贅沢にマットを敷いて、
インスタントラーメンを作って食べた。
里の方から正午の知らせが聞こえてくる。
何とも豊かなひと時である。
10年前のあの時は時間配分をミスして、
ここにかかっている小さな『○○岳』という頂上標識に気づかなかった。
とても気持ちが焦っていたのだ。
確かにこの尾根を通って一軒宿に下りたのだから、
ここを通らないわけはないではないか。
具のないラーメンを食べ終わり、もう少し進んだ。
しばらくして階段になり、そこを下ると見覚えのある陸橋に着いた。
山と山を切通して繋いだ小さな陸橋である。
初冬のあの日、長い周遊の果てにこの橋の欄干にもたれ、
一緒に歩いた友人と登山終了を喜びあった場所だ。
あの時は、夜の静寂が迫っていて気持ちが焦り、
その先からの最後の歩きが相当に堪(こた)えたのをよく覚えている。
欄干に降り立つと、つい懐かしくなってその時の友人に電話を入れた。
「あそこの橋まで来たけれど、山頂標識見過ごしたね」と、
言葉で説明できる限りの地形や道の説明をすると、
友人は「そこは絶対に通っていない」と言うのだった。
そして、その時に25000地図に赤線で落としたものをすぐに送るという。
「えっ、そんな?」人の記憶は定かではない。
その時、ひどく印象に残ることは人によっても違うし、
場面によっても変わる。
足湯に浸かりながら考えていた。
記憶よりも記録の方がはるかに正しいのだ。