最近の食品や歯磨きなどの日用品はチューブ入りが多い。
マヨネーズやケチャップは以前は瓶で買っていたけれど、
いつの頃からかチューブ入りばかり買うようになってしまった。
チューブ入りが無ければ瓶を使っているだろうけれど、
つい便利さの誘惑に負けてしまうのだ。
チューブ入りはたいていは底に幾らか残ったまま捨てられる。
あのびちょびちょとした生のクリームがそのままゴミ箱に入れられて、
炎の中に放りこまれると思うと胸が痛む。
炎は未来に残すべき大切な財産だ。
だから、私はチューブが少なくなると、
鋏で短くしてスプーンで取って使い切るようにしている。
こういうのを「しみったれ」というのだろうか。
些細なことだけれど、使い切るというのは大事なことだ。
手洗い用の石鹸も形がなくなるほどになってから新しい石鹸を開けたい。
口紅もとことん空にしてから別の色にしたい。
ボールペンも途中で書けなくならず、最後まで使い切ると嬉しい。
この気持、ちょうど全力で走った後の充足感に似ているではないか。
身体中のエネルギーを走るという行為で使い切る。
それ以上もう走れない。
物質と人間を同じに語るのは変すぎるけれど、
全力疾走の人生だったらどんなに良いだろうか。
果たして今日はエネルギーを使い切っただろうか。
とりあえず明日からそう思おう。
(写真は手前は歯磨きチューブ)