今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

新年におせち料理を求める心と身体

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子供の頃はお正月はとても楽しみだったのに、

近頃はたいして感銘を受けなくなった。

町そのものにもお正月気分が遠のいてしまい、

各戸の玄関に松飾りがあるのは珍しくなって、

いつもの日々と変らない。

 

もとより地方は商店街が疲弊して松飾りどころか、

「謹賀新年」と印刷されたポスターさえ珍しくなった。

目抜き通りの商店街は様変わりしてしまった。

ふだん下ろしたままのシヤッターに、

あらためて新年の挨拶を貼ることもないのだろう。

 

わが家も「迎春」だの「謹賀新年」だのと墨で書いて

玄関に貼るのをやめてから5年以上経った。

松飾りをやめてからは10年以上経ったかもしれない。

隣近所もやっていないので全然気にならない。

 

昔は三が日はおせち料理尽くしで、

滅多に来ない叔父や叔母からのお年玉も楽しみだった。

元旦に遊びに行ってはいけないと言われても、

ちゃっかり隣家に行ってお節を頂いたり、お年玉をもらっていた。

 

その頃は日本全体が貧しかったから、

豊かさを目指してお正月は大盤振る舞いでゲンを担いだのだ。

ところが、今は毎日がお正月というくらい衣食住が豊かになった。

だから、有難味が失せたのだ。

 

そんなことを思いつつも、この三日、

以前のように手作りのお節を食べ続けた。

松飾りも書き初めもやめたけれど、

心身に染みついた様式へのこだわりが、

食だけには強く残っているようだ。

お節のない正月が来るのを想像することは難しい。