コロナ騒ぎのために学校が突然休みになって、
小学低学年の子の勉強を見て上げることになった。
この子は勉強は嫌いだけれど、
けれんのない天使のような可愛い子だ。
当然だけれど、私は教科書に無縁な生活をしていて、
最近の学校の学習内容など全然分からなかった。
だから、私にとっても良い経験になるだろう。
最初に見て上げたのは、漢字の書き取りだった。
これまで習った漢字がずらりと宿題用に印刷されていて、
四角の空欄に見本をまねて何回も書き写さなければならない。
とにかくただ覚えるための書き取り練習だ。
それが何枚もあるので、
新しく覚えなければならない漢字の数が、
こんなにあるなんてと驚いてしまった。
もちろん私は書き順は忘れたが、
それらの漢字ぐらいは知っている。
きっといつの間にか覚えたのだろう。
ところが、この子ときたら書いているうちに忘れていく。
隙あらば逃げようとするので何度も頭を抑えつけた。
確かに漢字の練習なんてつまらない。
でも、見ていくうちに、
漢字がいかに優れた文字なのかあらためて思った。
何より文字に意味があるのが素晴らしい。
また部首によってジャンル?の分かれるのも興味深い。
部首は小さな子にも説明しやすい。
例えば、「木」(き)という文字は、
それが部首になって組合されていくと木の名前になる。
魚は魚の名前になる。
そう説明すると少しは漢字の意味が分かってもらえそうだ。
漢字は意味を想像できる表意文字だから、
ただ音だけのアルファベットやハングルなどとは比べものにならないほどロマンに満ちている。
漢字は中国から伝わり、それを読むには困難を要した。
そのため便利なカタカナやかなができ、
今では「漢字かな交じり」の文が普通になった。
かなだけで文章は読めるけれど何となく物足りないし、
同じ発音でも違う意味の熟語がたくさんあるから困ることも出てくる。
文章から漢字を捨てなかったのは先人の知恵だと思う。
この「漢字かな交じり」の文は日本だけのものだ。
多くの言語が消えて行ったというのに。
「漢字かな交じり」の文は、
日本人の頭脳にとてもふさわしい記述方法だと思う。
言語のグローバル化、つまりPCなどによる英語化は、
この国から確実に何かを奪っていくと私には思われる。
そんなことを思いながら、この子が育つ未来社会を想像した。