飛行機はミサイルに撃たれることなく、
またあまり乱気流にも見舞われることなく、
高度を落とし始めた頃、窓から垣間見た夜景が素晴らしく美しかった。
東京の夜景と違い、無限大の黒い平面に町の光が帯のように煌めきながら流れている。
ここで日本より五時間遅れのアブダビ時間に変える。
乗り継ぎ時間に飽きることなく程なくバスでタラップのある飛行機に乗り込む。
飛行機は前回の2階建てエアバスのエミレーツと比べたら小さくて、
成田から乗った機種と同じだった。
またもやこれからバルセロナまで約8時間も乗ることになり、
合わせると約1日狭い座席に囚われの身になる。
値段が安いということは、当然ながらリスクがあるものだ。
飛行機が規定高度に達し落ち着くと、
バケットにハムとチーズを挟めたサンドが配られた。
これは食べなれた味でなどうにか食べられた。
夕方から朝まで狭い椅子に座ったきりだから食欲はあるはずがなく、
無理やり口に入れたようなものだけど。
それから半分ウトウトし、半分意識をなくし、
そんな状態を何度も繰り返しているうちに、
やがて飛行機はバルセロナに降り立った。
いよいよリ2年前計画して流れた旅のリベンジが始まる。
用意された大型観光バスに乗り込み、中心部へと移動。
旅初日の今日はメインのサグラダファミリアが午後の予約となっているため、
午前は各々好きなところを散策できる。
バルセロナは見るところがありすぎて、
普通に観光するなら最低1週間は必要となる。
だから、たった3時間の貴重な時を有効に使わなければならない。
同行のツアー客たちはあっという間にいなくなったけれど、
私たちはどこへ行こうかと思っても、
あまりにも見たい所がありすぎて絞り切れない。
そこで、友人も好きなゴシック建築のカテドラル(サンタマリア・デル・マル教会)と音楽堂、市場に決めた。
カテドラルは13世紀の古いゴシック建築でファサードは19世紀のものらしいが、
使徒の彫刻?などが祭られている各部屋?ごとに、
ろうそくを灯すための献金箱があった。
1ユーロをチャリンと入れると、火ではなくledのろうそくが10本も点いた。
この教会は有料だがなぜか午後1時過ぎまでは無料で見物できる。
ヨーロッパの町にはこうした尖塔や城などが町のランドマークになっている。
次に行くカタルーニャ音楽堂は外国語別のガイドツアーとなっているため、
言語ごとに時間が決まっていて、場所を確かめた後に、
先にカテドラル近くの市場に行くことにした。
市場は友人と私の最も気になる名所であり、何度行っても嬉しい場所だ。
白いテント屋根の市場は朝にもかかわらず、
果物屋や肉屋、魚屋など開いていて、バルらしきカウンターもあった。
早速そこへ寄ってみた。
私はグラスビール、友人はエスプレッソ。合わせて3ユーロと安い。
たまたま隣にいた中年女性に「バルセロナは良いところですね」と言いながら挨拶すると、とてもフレンドリーな人で話がとても盛り上がった。
お互い身振り手振りの片言の英語でいろんなことを話した。
朝のバルの客はほとんどの人が地元の人らしく、
店員さん達も私たちの話に耳をそばだて、
何だか嬉しそうな顔をしていた。
女性はバルセロナは物価が高すぎ、
人が多くて住みにくいと言っていた。
最後に彼女が私たちの写真を撮ってくれたので、
私も赤い服のにこやかな彼女を撮らせてもらった。
何かしらお互いに別れが名残惜しく
「アディオス、さよなら、グッバイ」などと口にして、
立ち去る彼女を見送る旅人の私たちだった。
その後、音楽堂の英語解説の時間に16ユーロ支払って入場。
とてもソフトなガイド嬢がドラゴンを退治したバルセロナの守護神のことなど、
ゆったりとした英語で解説してくれたけれど、半分も理解できない。
ここはモンタネールという有名な建築家の建物で、
こじんまりとした音楽ホールのステンドグラスやタイルが美しかった。
舞台では地元のオペレッタ楽団なのか弦楽合奏や歌の練習をしていたので、
かれらも私たちのような海外からの途切れることのない見物客の存在が、
きっと励みになっているのだろうと思った。
音楽堂から出た後は、ガウディの勤労者住宅であるカサバトリヨまで歩き、
外観だけを写真に撮り、また広い歩道を戻って、
花屋の続くランプラス通りにある市場へと向かった。
胃の強い人が何とも羨ましい。
ここを海まで歩くのが効果的な観光なのだけれど、
もう私たちの足はパンパンになっていた。
おまけに私の昨年から長引いている胃痛が、
実は空港あたりから始まっていて、
それ以上は無理だった。
何しろ今日のメインはこれからのサグラダファミリア見学なのだから。