なぜ間違えたのか?
もう何度も行ったことのある集合場所、
なぜか曲がるべき交差点よりかなり早めに右折してしまった。
右折車線に入る時、何となく自信はなかったけれど、
不安ながらも強行した。
景色が違っていても戻ろうとしなかった。
もう少し走ればきっといつもの場所に着くはずだ。
そんなことさえ思いながら走り続けた。
本来なら右折したらまもなく目的地に着くはずなのである。
いつの間にかとある大学の前を走っていた。
ここは前からどこにあるのか気になっていた大学だった。
ほう、こんなところにあったのか、
道迷いも新しい発見があるものだと少し嬉しくなった。
でも、集合時間が迫っている。
その後、長いこと車を停止する場所がなかった。
今日は自分の車ではなくナビのない車に乗って来た。
ナビには目的地近くの大事な交差点に印もあり、間違えることはない。
ナビがないとつい先日この目で確認したばかりの交差点さえ間違える。
もしナビというものが世の中になかったら、
私の記憶は少しはしっかりとしたものだっただろう。
こんな単純な間違いはしなかったはずだ。
いや、これは単に私が極度の方向音痴のせいだからなのか?
ようやく医院の駐車場に車を止めると、スマフォに位置情報を入れた。
ここからはグーグルに任せよう。
目的地と経路をプッシュすると、スマフォから私の進むべき道が音声案内された。
裏道を通り、3度ほど曲がると正しい場所に到着できたが、
自分で探したわけではないからあの道を再び行くことはできないと思う。
もともと人にはナビが体内にあったはずだ。
それが機能するのは両の足で歩いているからこそだ。
体内ナビを蘇らせるためには大昔に戻らなければできないようだが、
もうそんなことはできない。