今年はなぜか貰った手帳が一冊だけだった。
今までは大小数冊あって好きなものを選ぶことができた。
考えてみればスマフォの普及で、
手書きの手帳を使わない人が増えたのかも知れない。
私はずっと手書きでその日の行動を一行程度に記録していた。
行動の種類を色鉛筆で色分けもしていた。
たとえば、旅行した日々とか会合の日とか、
後で見てそれぞれがどのぐらいの頻度か一目瞭然だった。
今でも近くの本屋にはたくさんの手帳が平積みになって並んでいる。
いつも貰っている私は、それらを誰が買うのか想像つかなかった。
月日が経てば役に立たないから売れ残りは廃棄物となるだろう。
デジタル主流の今となってはなおさらそう思う。
ところで、メモ程度しかしない手帳だけれど、
1年はあっという間に過ぎ毎年増えていくので、
ある時を境に翌年にはきっぱりと捨てるようになった。
大文豪や歴史に名を残す偉人と違い、
私は単なる市井の凡人、手帳が溜まっても何の役にも立たない。
何より過去の記録を読み返すことなど一度もなかった。
ならばあっさり捨て去るのが賢明ではないか。
というわけで去年の手帳をガムテープで巻いて、
小さな買い物袋に入れて燃えるごみにした。
それをゴミ箱に入れる時、時を捨てるような感覚に捕らわれる。
人には過去と言うものがあり、過去とは個人の歴史でもある。
大袈裟に言えば歴史を捨て去るような感覚だ。
それでも溜めることはやめよう。
ひとつひとつ身軽になって行こう。
そう思い直して捨てるのだった。