
冬の朝は夜明け前に近所を30分ほど歩いている。
ダウンのコートとフアフアの耳あて帽子、
カシミヤのマフラーで鼻と口を覆い防寒対策は完璧だ。
たとえ凍えるような零下の朝でも夜明け前の散歩はやめられない。
月の光や星の輝きと自宅に戻る頃の東の空の赤く染まっていく様子、
それらが余りにも美しすぎるから健康維持を兼ねて続けているのである。
最近は国道にかかる横断歩道橋をわざわざ二回歩くために、
周遊しないで同じ道を往復、つまり、ピストンしている。
ここいらは関東平野で坂や階段はなく、
わざわざ歩道橋を利用しないとただの散歩になり、
運動にはならない。
今朝は歩道橋を下りると、急に知り合いがやっている畑を思いだし、
そのままそこへ向かうことにした。
「いつでも取ってっていいわよ」と、言われていたのだ。
コッコたちのための大根葉とおかずにする煮物のため、
今朝は言葉に甘えることにした。
真っ暗な畑の中で懐中電灯で大根の畝を探すと、
土の中から白い大根が見え広がる葉はパリパリに凍っていた。
それを思い切り力を入れて両手で抜き取った。
誰かが見たら泥棒と思うに違いない。
二つの大根を両手にぶら下げ自宅に向かう。
恥ずかしいけれど、さいわいすれ違った車は1台だけで助かった。
でも、手が重さと冷たさで麻痺したようになって辛かった。
そのためわずか10分の帰り道だがとても長く感じられ、
数回大根を道に下ろして手を休ませた。
私は夜明け前の朝に大根を持って何してるのだろう。
そこで、ふと太平洋戦争後に、
捕虜となってシベリアに抑留された60万弱もの人たちのことが頭に過った。
ソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州に攻め込んだのだ。
不毛地帯の酷寒での重労働は、
こんな私の気まぐれな大根運びとは比べ物にならない。
ソ連はジュネーブ協定を批准してなかったので捕虜の取り扱いは酷かった。
わずかな食事とボロボロの服で零下40度の中を働かせられ、
6万弱もの仲間が次々と倒れて行った。
このことは先日ネットで山崎豊子作のドラマを見たせいかもしれない。
そう思うと、戦争のない今の日本に生まれて良かったと思う。
だけど、世界中では今まさに戦争のせいで子供たちさえ殺されている。
この現実を受け止めたくないのが私の弱さからくる本心である。