この町の送り盆はけたたましい爆竹や銅鑼の音、
船を運ぶ男たちの声、ごった返す見物客の歓声、
それらが入り混じってまさにカオスの渦に巻き込まれたようになる。
坂道のあちこちから特別にしつらえた精霊船が、
ぞろぞろと繰り出し、カンカンという銅鑼の音とともに、
主要道路の市電通りに並ぶ。
精霊流しの船は数十メートルの大きなものから掌に乗るようなものまで、
それこそ多種多様だ。
ペット霊園のもあれば老人ホームのもある。
夕方の五時ころから船は大通りに向かって練り歩き、
すべての船が港に着く頃は深夜近くなる。
その間、花火係の男たちは間断なく爆竹を鳴らし続ける。
手に持ったまま何十連発の爆竹をつけ、素手は火傷らだけになるとか。
この町の初盆の送り行事がなぜこんなに騒々しくて派手なのか。
それはきっと華僑の人たちが多く住んでいたからに違いない。
伝統行事とは地域で変り、
離れた町では静かな盆送りもあるらしい。
久しぶりに眺める私には精霊船が一軒だけのものではなくて、
町内でまとめて亡くなった人を送っているのが淋しかった。
本来なら一軒一軒が出すものだからである。
生活が合理化され、小さい船でも担ぎ手や花火係など、
10名以上は必要だけど、若者のアルバイトも難しくなった。
祭りではないけれど伝統行事を続けていくのには、
とにかく人出が大事になる。
それとこんなに大きなものを終いには、
ひと船ひと船分別してごみ処理場で始末しなければならない。
それやこれや負の部分を考えるとこの伝統行事は、
現代の暮らしには不向きとも言える。
せめて手で抱えられるコモ程度の大きさならエコなのだけど、
そうしたらつまらないお盆になるに決まっている。
市電も車も通行禁止にして、警察も爆竹し放題の特別許可を出している。
雑踏の中、道端に座り込み、
ビールを飲みながらそんなことを思った。