久し振りに一気に一冊の本を読み終えた。
たいていは途中で頓挫してそのまま図書館の棚に戻ってばかりで、
こんなことは滅多にない私だ。
しかも、動画の朗読作品を耳から聞く苦労無しの読書?が多く、
目で文字を追う本当の読書が少なくなっている。
ところが、この『ヴィオラ母さん』は違った。
こんな母親がいたのかと驚いてばかりで、その上痛快なのだ。
同じ母親としては目から鱗だ。
家事の手を休んで一気に読んだ私だけれど、
その面白さは何だったのだろう。
それは、著者のヤマザキマリという漫画家?の分かりやすい文章力もあるが、
主人公となる彼女の母親の波乱万丈な生き方そのものが、
何よりも事実であってフィクションでないからである。
彼女が描いた『テルマエ・ロマエ』という漫画は映画化され、
ローマ時代の浴場を現代の日本の銭湯とタイムスリップさせた、
喜劇的なストーリーだった。
それはそれで面白かったけれど、
『ヴィオラ母さん』は娘の記憶による母親の描写で、
いわば壮絶ノンフィクションストーリーだ。
女手一つで型破りの価値観で子育てをし、
娘はマルチなクリエーターになった。
その母にしてその子ありの典型だろう。
さて、こういった先駆的な女が主役の本を読むたびによく思うことがある。
同じような年齢の母を持つ彼女と同世代の男性は、
こうした女の破天荒な生き方にどういう印象を持つのだろうか。
知りたいものである。