庭の枯れ枝や落ち葉を集めて焚火をしていたら、
ついでに焼き芋を作ろうと思った。
おやつもできるし、庭もきれいになるし、
焚火は一石二鳥だ。
いや、山の小枝も早く土に還り、一石三鳥ともいえる。
ちょっと前までは、
庭のある戸建ての家ならこんな山の家でなくても、
よく見られた光景だ。
街中ではとてもできない落ち葉焚き。
焚火は原始の世から暮らしとともにあったのに、
今はまるで趣味の世界へ追い払われてしまった。
それは人類の退化へとつながる。
人は食料が炎によって食べられるようになる仕組みを、
こんなふうに体験して知っておかなければならない。
できれば幼い時から毎日のように。
真っ赤な溶鉱炉のようになった小枝の塊の中に、
アルミ箔に包んだサツマイモをもぐらせる。
試しに太ったニンジンやジャガイモも入れてみた。
どれぐらい焼けば良いのか頃合いが分からないけれど、
とにかくジャンジャンと小枝を燃やす。
どのくらい燃やしただろうか、
かき混ぜた炭の中にどうにか形をとどめていた。
枯れ枝を投げ込みながら、
小さな子たちが大はしゃぎしている。
トングで挟み地面に置いて、
一つ一つ金串で刺すと、ほとんどスッと串が通った。
ちょっと硬いのは残り火に戻す。
最初に入れた焼き芋は半分黒焦げになっていたけれど、
中身はホクホクと美味しかった。
ジャガイモも焼き芋にすると最高の味だった。
意外なニンジンはまるで別物のように甘くなった。
ものの数分で食べてしまったけれど、
焼く過程を体験した後だけに満足感が大きい。
よくジャングルなどに住む人たちがやるタロイモの蒸し焼きも、
きっとこんな風に味を封じ込めるので美味しいのだろう。
でも、落ち葉焚きでの焼き芋には、
アルミ箔という文明の産物が必要だ。
それがなかった昔はそのままお芋を焼いたのだろうか。
だとしたら、灰だらけで食べにくかったと思う。