
山の家に預けたヒヨコ達が気がかりで、
そのために誰もいない家にやって来た。
住人一家はお正月の年始で3日も家を空ける。
今年もお節など作らず、元旦に簡単な雑煮を食べただけで、
そのため私には一切正月気分がなかった。
先住の鶏や愛してやまなかった私のコッコちゃん、
まだ少女のままのヒヨコ軍団もどうにか無事に過ごしていて安堵した。
あらかたの外仕事と散らかった部屋の整理を終えて、
テーブルに残されたちょっとしたお節をつまんで、
一人ぼっちで薪ストーブの前にキャンプテーブルを置いて座った。
炉の中で薪が爆ぜてパチパチと花火のようて美しい。
なぜか赤い炎を見つめていると孤独な気分は癒され、
ほっこりとした充実感さえ感じてしまう。
有史以来人間がそれを囲んで見つめて来た赤い炎、
きっとそのことで私という命の連続性が、
決してひとりではないことを本能的に感じさせるのだろう。
人間の世代は25年が一区切りというが、
もし、世代ではなく今の平均寿命で考えて80歳とすれば、
縄文人は16000年ほど前なので、
それで割ると私に繋がるまて、200人ほどにバトンタッチされている。
でも、人間には二人の親がいるので、
それを計算したら天文学的な数になるかもしれない。
だから、私はがんじがらめの連関の中で生かされている?
何てことだ。
それが、原始の炎を見ていると本能的に実感するのだろう。
ひとりだから、またこんな時間は初めてだから、
やたら妙なことを考えてしまう。
お屠蘇の飲み過ぎか。
今夜は炎の前の床に寝ることにする。