
今年もいよいよあと二日で終わり。
最後の清掃センターにゴミを積んで行かなければならない日である。
明日の大晦日もやっているが、相当混雑するに違いない。
一年の日々を決していい加減に過ごしてきたわけではないのに、
残り少なくなった砂時計の砂粒の速さのように時は過ぎゆく。
こうして過ぎ去ってしまえば、
本当にそれらの日々があったのかどうかも定かでなくなる。
日常の掃除なども追われるようにやって来たと思う。
とはいっても、家の隅々の細かな場所は埃や塵が溜まっている。
頻繁にすることのないキッチンの換気扇や、
冷蔵庫やレンジ磨き、窓ガラス磨きなどやることが多すぎる。
でも、しつこい汚れをごしごしと拭き取っていると、
まるで時の存在の証拠のように、
その汚れは1年という月日の経過を示している。
また普段使わない小部屋は、
それこそ普段使わない数々の物の置き場になって、
歩くスペースもないほどだ。
それらのモノたちの一つ一つは大して重要なものでなく、
丈夫な段ボール箱であったり、普段着ることのない服だったりする。
きっと私以外の人間なら何も考えずに捨ててしまうだろう。
目にするたびに捨てようと思うのだが、
モノにはそれにまつわる記憶があって、
いざ捨てようとなると、そのことが邪魔をしてそのままにしてしまう。
こうした室内の掃除に加え、毎年伸びる生け垣や立木の剪定など、
外の整も大仕事だ。
物置にはこれまた同じ理由でガラクタが積まれ、
段ボールなど月に一度はゴミ処理場に持っていくのに、
整頓されているとは思えない。
やはり、日本人だからお正月は縁起を担ぎ、
身も心も内外もきれいにして迎えたい。
一週間ほど前に剪定した生け垣のゴミはしばらく乾燥させておいたので、
着ることのない服や壊れた小物など目いっぱ車に積んで、
近くの清掃センターに行ってきた。
それが、何ということ、皆私と同じなのか、
普段はスイスイと入ることのできるゴミ処理場に、
車の行列が蛇のとぐろのように続いていた。
係の人の誘導で場内に入るのに約1時間ほどかかった。
誰しも年内に粗大ごみを捨てたいのだ。
初めに段ボールや紙類の資源ごみをコンテナに置き、
燃やせるゴミを最後に車から焼却穴に放り込み無事終了。
来年こそはこんなことにならないように、
常々整理整頓をしようと肝に銘じて帰って来た。