
秋に新しくヒヨコを飼ってから満2か月が経った。
掌にすぽっと収まる生まれたてのヒヨコの体重は、
始めは30gから50gだったのに、あっという間に何倍にもなった。
去年も同じようにヒヨコを育て、卵を産むまで飼ったけれど、
雌鶏とは言え卵を産むようになってからは、
早朝から大声で鳴くようになって、
泣く泣く山の家に移住させたのだった。
その時は、長い間育てたために愛情が深くなって別れが辛く、
いわゆる俗に言うペットロスで日々泣いていた。
山の家の先住の成鶏たちの新参者に対する猛烈な攻撃も涙を誘った。
その時の3羽は私の後を追い、私の肩に乗り、
私の車に乗り込み、一緒に戻りたいと、必死の抵抗を示したものだった。
本当に可哀想でならなかった。

それが、山暮らしが数日も経たないうちに、
暗い早朝に扉の開いていた小屋に襲って来たキツネに何羽もやられ、
私のコッコも3羽のうち血だらけで生き残ったのは1羽だけだった。
雨が続き餌を求めて必死だった母キツネのことを思うと、
この時の悲しみは何だか違っていた。
コッコたちはきっとキツネの肉体に入り、
キツネの子たちと共に裏山を駆け巡っていると思えたからだと思う。
大いなる自然界の決して不条理ではない輪廻のような、
そんな思いが頭に巡り、悲しみの質を変えていた。
生い茂る木々の山から育ての親の私を見守ってくれている。
そんな気持ちになるのだ。
今度のヒヨコ達はまだピヨピヨと鳴いている小さいうちに、
山の家に移住させよう。
その方がお互いの情?にも良いだろう。

だが、問題は鶏の社会は壮絶なる階級社会なのだ。
血だらけで羽をむしり取とれ一羽だけ生き残り、
『孤高の人』?として耐え続けている、
あの元祖コッコにいじめられないか心配している。
(写真 中は毎日食べるバケツいっぱいのキャベツ 下はたまに大好物の庭の虫)