今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

ライブ配信の恐さ

 

先月だったか、動画をライブで配信していた若い女性が、

その動画で居場所を突き止められ命を奪われた。

もちろんその様子も映像で配信されたらしい。

 

ライブは見ている人から「投げ銭」といってお金を貰えるので、

ある意味手っ取り早い収入を得られる手段なのかもしれない。

そのためありとあらゆる場面のライブが配信されている。

 

だいぶ前のことだったけれど、

10月の富士山で配信していた男性が滑落したことがあった。

その人は都心のアパートで独り暮らしをしていて、

彼のライブ配信は人気があったようだ。

 

たったひとりの雪山でも視聴者と会話しながら登るので、

孤独感は薄れるに決まっている。

ちょうど誰もいない一人の部屋で、

友人と長電話しているようなものだろう。

恐さが薄れるのか、彼はアイゼンなしで歩いていた。

 

「がんばれー!」とか「素晴らしい挑戦」などと応援の声に励まされ、

また嬉しい投げ銭も来て感謝の言葉を返し続けたのか。

リアルな凍雪の足元とそれはひどく乖離しているのに。

カメラは落ちていく画像を配信し続けた。

 

ライブ配信はその人の居場所を知ることができる。

女性の場合「山手線一周」の試みだったようだ。

道に迷ったりすると、視聴者が教えてくれるし、

時には近くにいた人が差し入れを持って来てくれたりする。

もちろんその様子も映されている。

 

でも、どんな人が自分のことを見ているか分からない。

世の中には常識的な人が大半とはいえ、中には変な人がいる。

特に配信者が女性だと偏執的にコメントや投げ銭を送ったりして、

女性からのお礼の言葉で自分が特別な存在と思ってしまう。

 

その行動がエスカレートすればさすがに相手に煙たがれる。

配信者は危険を感じて、

そうした視聴者をアクセスできないようにブロックしてしまう。

でも、ブロックされた側は今度はひどく恨んでしまうことになる。

 

女性の事件もそんなことが大方原因なのかもしれない。

だが、ライブ配信では富士山滑落事件と同様に悲惨な瞬間が配信され、

その動画があっという間に多くの人に広がった。

 

テクノロジーの進歩が人間の心に何らかの刺激や影響を与えるのは、

今に始まったことではない。

大昔の無声映画でも刺激は次々と求められていた。

それが、何と今は時を共有するライブなのである。

 

いつの時代も人々は刺激を求めるのである。

視聴者はホラー映画のような刺激を現実に求め、

それが自分と関わり合いのある人間だとなおさらだ。

「人の不幸は蜜の味」でたまらないほどの刺激を受ける。

動画を配信する人は人間のそうした暗い欲望に気づかないといけない。

 

 

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