
水辺公園の夕日を見て来た。
以前は夕方に散歩していたから、
水面を赤く染める日の入りの光景によく出くわした。
それが言葉では表せないほど美しいので、
カメラのシャッターを何度も押したものだった。
空気の澄んだ冬場の日の入りの様子はとりわけ格別で、
写真好きの人たちがカメラを構えてその時を待っている。
今日はお休みの日だったせいか野鳥の見物客も多かった。
岸辺には数えきれないほどの水鳥が集まり、
中でも大きな白い鳥は見物客の目を引き、
子供たちは喜んではしゃいでいる。
不思議なことにその子供たちは、
空を緋色に染めていく夕日に関心は向かない。
黄金の夕日の沈む光景に目を奪われるのは大人になった人たちだ。
考えてみれば幼い子は、
自然の織り成す機微には心奪われないようだ。
自然界で彼らの目を奪うのは昆虫や鳥、動物などで、
植物や風景などに感動することはないようだ。
大人が、それも年を重ねた高齢の大人たちが、
夕日などの自然現象に強く感動するのはなぜなのか。
大人は目の前で繰り広げられる日の入りのシーンが、
実は反対に私たちの側が落ちて行っているのを理屈で知っている。
回転する球体の地球に住む人々がそれぞれ順番に、
このたった一つの太陽の織り成すドラマに出会っている。
そして、多くの人が一日の重みを否応なく感じているに違いない。
その意味では、何も知らない子供こそ、
純粋にこの光景を楽しむことができる。
だのに、私の経験では子供はこうしたドラマには関心を持たない。
確かに幼い子がじっと立ち止まってその様子に見とれていたら、
何か妙な違和感を周囲に与えるだろう。
こうして考えてみると人間とは面白いものだ。