庭にたくさん茂っているイチゴの葉の中に、
白い花が開いているのを見つけた。
その場所は真冬でも長く日がポカポカと当たって、
ここ何年かは毎年1輪2輪こうして狂い咲きする。
朝の気温がマイナスになる頃には、
花はいつの間にかなくなって実の成ることはないけれど。
昨今は野山を歩いていてもツツジの花が開いていたり、
カタバミのピンクが残っていたりと、
こうした季節を間違えて咲いてしまう花が多くなった。
以前なら意外な出会いを喜んでいたけれど、
異常気象が異常でなくなった今はそれが当たり前になってしまって、
全く心もときめかず、
むしろ老婆心で自然の未来が心配になってしまう。
考えてみれば、植物は環境さえ整えてあげれば、
季節に関係なく開花させ結実させることが可能だ。
特に野菜などは旬のものと人工的環境で栽培されたものとは、
お店ではほぼ同じぐらいの量を占めている。
例えば季節もののキュウリやトマト、それにこのイチゴなどだ。
農耕の歴史以来、人間はそんなふうにして生産力をむ高め、
人口を増やしに増やしてきたけれど、
少なくとも自国にないエネルギーを消費することはなかった。
私の場合、燃料をつかって栽培されたハウス物の野菜は、
頂いたものや外食ならともかく、わざわざ買って食べたことは無に等しい。
クリスマスのケーキにしても飾り付けにハウスのイチゴなど使わない。
冬に実る頂き物のキュウイで済ませる。
もちろんその理由は値段が高く余計に燃料を消費しているからだ。
こんな人間ばかりだったら消費社会は潤わないけれど、
燃料がうなぎ上りに高騰している今、
私のような考えの人間が増えるかもしれない。
真冬に冷たいキュウリなどを食卓に乗せることが、
この自然界にとってはどんなにおかしなことなのか。
際限のない人間の欲望がどんな世界になっていくのか。
小さなことから始めなければならないと私は思っている。