
山仲間から電話があり、とある山での体験話をしてくれた。
彼女たちの登山経験は豊富で、
その殆どが重たい荷を背負ったテント泊である。
その日は一泊二日の山旅だった。
今回はどうしても行程の都合で、
山小屋のテン場(指定されたテントを張る有料の場所)を使わなければならなかった。
ここはテント泊の予約は不要で、
仕方なく一人1500円の料金を払い、そこで過ごした。
ところが、朝になっていつもの山の朝のように朝食を食べ、
お昼の食事も作って茶を飲み少しゆっくりしていたら、
山小屋の人に早く撤収するようにと強く注意されたという。
周囲を見ると、自分たちのテントだけが残っていた。
確かに登山者は朝早く出発するが、撤収の時間までには余裕があった。
その山は有名な山の一つで、
休日となれば小屋もいっぱいになるほど人気の山だ。
そのため山小屋側も野営客を細かく管理したいのだろう。
彼らは好きな場所で気ままに山の一夜と朝を楽しんでいるので、
とても興を削がれたという。
私も季節に一回ほど彼らとそんな山旅をしているけれど、
森に囲まれた穏やかな稜線での語らいや宴は開放的で楽しい。
真夜中の月や星、木々のシルエット、静寂の空気など生き返った気がする。
大雨の音さえ平気だ。
外で一晩を過ごすと、人が実は野生の動物だったということが納得させられる。
最近は近隣の山々も山火事があったせいで特にうるさくなり、
「火気厳禁」とか書かれた張り紙があちこちにあって気分を害する。
そんな山中でコンロで食事の支度をしていると、
それを見たハイカーがやたらと注意してくる。
筑波山などでは頂上直下の広場にバーナー箇所が設けられ、
いよいよ山も下界の観光地のように管理されてきた。
それでも食事を山で作る登山者に気を使っているから良い方だろう。
人は原始性を求めて山に行くが、近代社会はそれを拒む。
与えられた場所でセオリー通りの行為をして、
全ての人間が同じ道を通るようになってしまった。
そんな世界は人間の未来を暗くしているとむ思ってならない。
管理されない行動の自由はもうこの現代では求められないのだろうか。