小さな山を歩いた。
車で行ったので同じ道を戻るピストン山行である。
車を使わないで山に入ると、
歩き出した登山口から下山する地点を別の場所にすることができて、
山歩きの本来の歩き、また楽しみを味わえる。
もともと山を越えて別の地点に降り立つことは、
平地の道を通って移動するよりも近道なのだ。
日本は山国なのでほとんどの集落や町が山で区切られている。
その山を峠に向かって上り、そして、下ると隣町に出る。
隣町は山一つ越えただけなのに、様々な習慣や儀式がそれぞれに違う。
数時間しかかからない狭い範囲とはいえ言葉も少し違ったりする。
今の時代は情報が全国に発信され、
人々が同時に享受することができるため、
日本列島どこへ行っても大した違いがなくなった。
昔は西の京に行くまで山を幾つも超えなければならず、
恐らく普通の人なら20日以上はかかったと思う。
だから、山に「登山」という分野は存在せず、
山道はひたすら生活、つまり、他所の人との交易の道だったのだ。
登山を楽しむアルピニズムは、
明治に入って西洋から特権階級の一部の人たちに伝わった。
生活に追われている人々にとり、
ただ歩くためだけの山はあり得なかったのだ。
どちらの時代が良いかというと、もちろん今の時代だ。
けれど、多くの伝統や文化のようなものが画一化されたのは味気ない。
そんなことをつらつら考えながら小さな尾根を歩いた。