よく行く自然公園の散歩をしていたら知り合いに会って、
違う道を行かないかと誘われた。
自由な時間は6時まであったので気軽にオーケーし、
二人でおしゃべりをしながら歩いた。
その人が案内してくれた道は岩稜の続く小さな丘陵で、
足場をいちいち選びながら歩かなければならなかった。
そのせいで2時に歩き始めたのが、
あっという間に4時を過ぎてしまった。
知人はいつも歩いているコースで慣れているし、
私より足が断然速く、少し沈黙が続いたと思うと、
もうはるか彼方に後ろ姿が去っているという感じだった。
そのせいで新しいコース巡りは大分時間を過ぎてしまい、
知人と別れた後は足元が暗く、
ヘッドランプをつける羽目になった。
安物のライトでも足元が照らされると、
夜道の心細さがなくなり少しホッとする。
ライトをつけて歩いたのは初めてかもしれない。
そして、歩を進めると明るい時なら見ることのない街の夜景が、
パッとこの目に飛び込んできた。
なかなか美しいではないかと嬉しくなった。
子供の頃、夜景の見える場所に住んでいたせいか、
街の夜景を見ると何となくホッとする。
そもそも光は電気であれ焚火の炎であれ美しいのだ。
電気のなかった時代も民家の明かりがどんなに救いだったことか。
人は明るさを求め進歩してきたのだろう。
もし、電気が消え世の中がまことの闇になったとしたら、
一体人はどれほどの恐怖に襲われるだろうか。