子供時代、私はずっと自分だけの部屋が欲しかった。
自分の部屋があれば好きなだけ自分の時間に浸ることができる。
誰にも邪魔されずに勉強や読書に浸ることができる。
でも、大家族の我が家では、
末っ子の私にひとりだけの部屋は望めなかった。
兄も姉たちも畳の部屋で宿題をしているのに、そんなことは口には出せない。
でも、人は欲しいものがあると、何としても手に入れようと努力する。
インテリアに興味があった私は、
自分の勉強部屋を工夫して作ることにした。
そこは廊下の隅で雨戸の格納される半畳ほどの一角だ。
そこなら誰にも迷惑もかけず落ち着くことができる。
私は壁に向かって机と椅子を置いて、
好きな色で塗った本棚をコの字型に巡らせた。
そして、棚のあちこちに好きな置物を置いて飾った。
ペンキだけは買ったけれど、全てが家に合ったものを使い、
まるで、ジグソーパズルを埋めていくように一生懸命工夫した。
背中側には赤いギンガムチェックのカーテンを画鋲で止め、
学校から帰るとすぐに勉強道具を置いた。
家族は何も関心を示さず、私は自由だった。
居間で座卓を囲んで夕食が終わると、
小さな書斎は私の心のよりどころとなった。
創意、工夫の賜物のわが部屋にうっとりとした。
テレビに飽きると、家族が寝静まる真夜中、
電気スタンドの光の中で文庫本を読んだっけ。
机でウトウトして、もつれる足で兄弟姉妹の布団に入ったものだ。
今になってあの頃の自分が愛しくなる。
小さな家で暮らした子供時代、全てが与えられなかった子供時代。
あれから比べると、私の今の暮らしは何百倍と恵まれている。
でも、不足のモノ、欲しいモノなど何にもないのに、
どこか何かが抜けてしまっている気がする。
ジグソーパズルの最後の一枚だろうか。
渇望するという心は何と素晴らしいのだろう。
何もかにも過剰になった今の私には創造する力がなくなっている。
満たされなかった子供時代の豊かさが懐かしくてならない。