今日も熱帯のように暑いけれど、気分転換にとある山を目指した。
そこは通いなれた国道を走って見知った都市を抜け、高原へ向かって走る。
頭の中にはちゃんとした鳥瞰的な地図も浮かび、確実に行けると思っていた。]
それなのに途中でジグソーパズルみたいに記憶がばらつき始めた。
自信を持っていたのに何か違うような気がするのだった。
記憶というものは私にとってはこんなふうにあやふやだ。
50キロほど走ったところに道の駅があったので、
店員さんに尋ねると、すぐ先の道を右折するとのことだった。
ここまで記憶が正しかったことに驚いた。
だが、教えられた林道も景色にあまり見覚えがなかった。
それは、左右とも深い雑木に覆われていて薄暗く、
すれ違う車は一台もなかった。
20分ほど走っただろうか、
ようやく登山者の車だと思われる5台の車が止まっている場所に着いた。
ここを最後に来たのは確か8年ほど前だったろうか。
こんな薄気味悪いところを走って何度も来たなんて、
考えるととても不思議だった。
でも、確かにここからもA山の山頂の一つである不動岳に、
少なくとも5度ほどは登っているのだ。
歩いていたら記憶が甦るのではと思ったけれど、
枯れ沢を横切る時、私はとても驚いた。
こんなところあったっけ。
以前は友人とおしゃべりに夢中で、
景色を見る目に心がなかったのかもしれない。
今はひとりだからしみじみと風景を見つめている。
最初の登山口から道は二手に分かれていて、
少し運動をしたかったので今日は直登の急峻道だった。
そこに記憶のない石ころだらけの水無しの沢があったのだ。
標識に従い山へ登っていくと、ところどころに場所を同定する番号がある。
いざという時の番号だ。
数字は上へ行くごとに若くなり、登山口から一時間半を過ぎた頃、
とある番号地点でやっと見覚えのあるお不動様があった。
この像の姿はよく覚えている。
周りの斜面には山椒の大木があって丸い実をつけている。
そういえばこの藪の中に分け入って、
山椒の葉を袋一杯摘んだことがあった。
あの時は私だけが虫にやられ散々な目にあった。
その経験があったからこそ、
今日は虫よけのネットをかぶって歩いているのだ。
不思議だ、こうしたことははっきりと覚えていて行動に移している。
そんなことを思いながらサンドイッチをほうばっていると、
首の辺りでジージーとセミの声がした。
ネットの中に夏ゼミが迷い込んできたのだった。
ここを過ぎると道は穏やかになるはずだ。
山頂までもう一時間もかからないだろう。
私は心の中でそう呟くと、
小さな夏ゼミをそっと逃がしてあげた。