まだ体のふらつきが恐いから車を運転はしていない。
今日は歯医者の日で行き道は乗せてもらったが、
帰りはリハビリを兼ねてのんびり歩いて戻った。
車なら5分もかからない約2キロほどの道である。
見ると歯医者のはす前に農地に入る横道があって、
そこは田んぼの中のあぜ道っぽく未舗装だ。
車が通らず安全な道なのでここを歩くことにした。
小道に入ったところに家が1軒だけあって、
年をとったおばさんが花の世話をしていた。
「こんにちわ。」と声をかけ、あぜ道が通りに抜けるのか尋ねた。
おばあさんは親切に町の郵便局までの道を教えてくれたが、
別に尋ねなくても、周囲は視界が広く、
私が帰る方向は簡単に分かっていた。
茶畑が更地になった農地の間にあるあぜ道を過ぎると車道に出た。
道沿いに製茶工場の由緒正しい感じの古い建物があった。
ここがお茶栽培を止めたのは3.11直後のことである。
そのことは茶の木が茶摘みもされず、
荒れ地になっていく様を胸を痛くして車窓から見ていて知っていた。
あの時は関東地方のお茶がすべて放射能で汚染され、
私たちは絶望のどん底に突き落とされていた。
この工場ももともと廃業したかったのかは不明だけれど、
原発事故がきっかけだということは明らかである。
風に飛ばされそうな帽子を手でぐいと押さえながら、
近代化遺産風の工場を何枚か写真に納めた。
初めて歩き、初めて見た風景である。
私は胸をときめかせながらシャッターをタップした。