暦は新しくなって2022年になった。
といっても、これは太陽暦で日本古来の新年ではない。
日本の国が新暦を採用してからまだ150年ほどしか経っていない。
人は区切りがないと生きていけない存在で、
区切りのやり方に違和感があったとしても、
年明けは元旦として儀式を執り行い、伝統として受け継がれてきた。
私も以前は必ず初日の出を拝みに行っていたものだ。
科学文明がこれまでかとばかりに発達し、
お金持ちが宇宙からネット世界を駆使し、
お金をばらまく時代になった。
人々の交流はSNSの中で現実世界より何倍も盛んである。
そうした時代に伝統文化の意味が変わってしまい、
少しづつ崩れて行っている。
コロナという疫病もその勢いに拍車をかけている。
とはいえ、私のように年賀状を書かなくなったり、
おせち料理を食べなくなったりする者も、
多少はそれらしきことをしないと区切りを通過出来ないようだ。
去年は元旦に近くの里山に上り、隣町に下山した。
今日は家から車を使わず、
いつもの水辺公園への散歩道を長めに歩いてきた。
そこで、正月飾り用の松の木の枝を数本頂く。
各部屋に置いた小さな鏡餅もどきの横に松葉を置く。
ここ数年の元旦の飾りがこんなふうにいい加減になってきている。
でも、不思議なことにこれだけでも何となく正月らしい。
年末年始も働いている人たちは多くいる。
彼らにとっての区切りはまた異なる。
まっとうな儀式を行える人ばかりではないことに気づくと、
年の区切りの過ごし方など、この程度でいいかと思ったりしている。
こだわりを捨てたら楽になった。