とある趣味の品に不都合があって、修理屋さんに寄った。
2年ほど前からこの不具合のことは店主に話していて、
やっと実現する形になった。
家から大分遠いのである。
その作業場は昭和の頃の朽ちかけた一軒家で、
きしんだ引き戸を開けるとすぐ仕事場となっている。
何やら複雑な部品が所狭しと置かれ、奥の机が主の場所だ。
奥とはいえ、多分3畳ほどの狭さだから、
その中にお弟子さんが作業をしているので殆ど隙間がない。
引き戸の前に小さなスペースがあって台所のようになっている。
石油ストーブのヤカンから湯気が出ていた。
以前はこんな狭さでも家族が暮らしていたのかもしれない。
そんなことを考えながら主の手元を見守っていた。
彼はどうして私が不具合を感じるのか、いろいろ丁寧に説明してくれた。
新しい部品に変えてもらうつもりだったのに、
その人は新品にしても変わらないという。
私のやり方が悪かったからだ。
主は中年の男性で愛想などと言った雰囲気は全くなく、
笑顔すら見せないとっつきの悪い人だ。
最初の頃は、電話の受け答えも杓子定規で、
何だかこちらが気が引けてしまうほどだった。
でも、何度か通ううちに心が通うようになった。
電話で相談しても真摯に応えてくれる。
この人とは長い付き合いが必要なのだ。
彼は約10分ほどいろいろ手をかけて修理してくれ、
同じ部品なのにめっぽう具合が良くなった。
私はその様子を写真に撮らせてもらったりして、
最後には礼を言い支払いをしようとお財布を出した。
すると、主は「お金は要りません」と、かたくなに断った。
今まで利用したお店では必ず部品を新品にして、
数万円の料金を取られたのに。
何て良心的な人なのだろう。
この作業所にちょくちょく行くようになって、
壊れかけた昭和の家がなぜ使われ続けているのか、
その理由が分かったような気がした。
要は中身の問題なのである。
こういう店を心から応援したい。