今日は久し振りに趣味の会の集まりがあった。
今回のコロナ騒動で公的な場所を借りて集まっている私たちは、
そこが使えなくなってとても不便な月日を過ごした。
コロナが少し落ち着くと平日の日中が解禁されてみたり、
ひどくなると、すぐにまた全ての部屋がクローズされたりした。
おかげでまともに活動したのは、正味ひと月ほどだったに過ぎない。
さて、今回の使用解禁はいつまで続くのだろうか。
木枯らしが吹くようになったらどうなるか分からない。
さんざん翻弄されてきたためどこか懐疑的になっている自分がいる。
これは単なる趣味が続けられるかどうかの話だけれど、
日々の生業である仕事だとしたら最悪なことではないか。
人は今日の続きが明日であることを疑いもせず、人生設計をやっている。
そうでないと生活は見通しが立たない。
でも、こんな風にコロコロ変わる規制や緩和によって、
店を開けたり閉めたりしたら、
食べていくためにはその仕事を止めることを考えなければならない。
我が家近くの宴会専門の料理屋さんがのれんを外していた。
この1年半ほどどうにか営業を続けていたのに、
先日、店の前を通ったらひっそりしていたのでそのことに気づいた。
「各種宴会、法事‥」などと書かれた看板だけが残っている。
この店はきっと地域社会で大切な交流の場であったはずだ。
それがなくなってしまうのは、
地域社会そのものがなくなってしまうことにも通じる。
こんなふうに日々の生業が別のものに化していく。
コロナとはパラダイムの変換を余儀なくしているようだ。
これは偶然のことなのだろうか?