今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

衰えていく五感

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足の調子がいくらかよくなったので、

友達を誘って久しぶりに重いリュックを背負い、秩父の山に行ってきた。

ここには以前に来たことがあって、

その時は山頂から同じ道を戻るピストン山行だった。

 

だから、今回は帰りはループ状に戻るコースを歩くつもりだった。

電車の駅からすぐに登山口があるのは珍しく、

大きな観光用駐車場もあり、

ループ状に別の道で戻れるので結構人気の山のようだ。

 

そのために山中には立派な標識も立っている。

最初の標識地点で道は二手に分かれていたのに、

なぜか位置も確認せず私は自然と尾根に上る道を選んだ。

 

でも、しばらく登っていくと道が不明瞭になったので、

持ってきたスマフォのアプリを開き現在地を確かめてみた。

すると、赤く引かれた線の道から外れているようだった。

正しい道は尾根上にはなく沢沿いにあった。

このアプリは事前に今日行く山の等高線図をダウンロードしていた。

 

それでも、私は不思議なことに機器の方が間違っているのではないかと思ったが、

友達に迷惑かけたらいけないので最初の分岐に戻ることにした。

すると、やはり、そこが正しく右手下に川筋が覗いていた。

 

このロスで1時間ほど遅くなり、山頂に着いた時はお昼を過ぎていた。

秋の時間はつるべ落としである。

予定していた下山道は台風で歩きにくくなったという話をハイカーの女性から聞いて、

結局また同じ道を戻るというピストンで終わってしまった。

 

今回のことでGPSの有難さが分かったけれど、

反面、それらの便利さと引き換えに失われるものも大きいと思う。

町から離れ私たちが山を歩くということは、

五感を取り戻すための行為ではなかったか。

 

GPSに頼って山を歩くことは確かに多くの危険を回避できるけれど、

本来持っている私たちの力が少しづつ弱まっていくようだ。

こうした便利さから少し離れてみようと思っている。