今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

古い新聞に包まれたお茶碗

とある町のお店の前に「ご自由にお持ちください」と書かれた箱があった。

バスケットは幾つかあって、その中には古いけれど、

未使用らしいお皿やお茶碗、お盆などが並んでいた。

 

飯茶碗はなかなか良いもので、廃業した専門店のもののように思われた。

制限がなかったからちょうどお茶碗が欠けていた我が家のためと、

親戚のためにと欲張って3枚づつ、合計9枚も頂いた。

少し、恥ずかしかったけれど、

ガラスの中のオフィスの人が「どうぞ、どうぞ」とほほ笑んでいる。

何て親切な人なのだろう。

 

ご飯茶碗を包んでいた新聞は昭和58年の日付のものだった。

その間ずっと倉庫に入っていたのか。

やっと日の目を見て役に立つ日がやって来たのだ。

大事に使わせてもらおう。

 

そういえば以前、この近くで骨董市があって、

木箱に入った漆の椀を手に入れたことがあった。

それは10客ほどあって、底にはイニシャルが刻まれていた。

おそらく何かの祭事のお返し物だったに違いない。

 

その時、包んであった1944年11月の古びれた新聞を広げてみたら、

そこにあった小さな記事に驚いた。

作家の辻潤が亡くなったことが記されていたのだった。

 

ウイキには彼の亡くなった日は?がついている。

というのも、彼は今でいう孤独死で、しかも原因は餓死という。

彼の息子である辻まことの山のエッセー本を愛読していた私は、

そのセピア色した新聞紙の記事に奇遇を感じたものだった。

 

骨董屋で買ったその漆椀は同じイニシャルの友人が偶然いて、

骨董が大好きな人だったので差し上げたけれど、

新聞はその時捨ててしまったのか、すっかり忘れてしまった。

 

頂いたお茶碗を洗いながら、

ふとあの時の新聞のことを思い出し、

捨てないでとっておけばよかったなあと悔やんでいる。