用事があって市庁舎を訪れたら、表庭の一角に放射能測定器があった。
原発事故の後、各地に設けられた測定器である。
電光数字は0.03とあって平常時のそれで安心した。
思えば原発事故から早10年が過ぎている。
あの時は、日本中のすべての人が、
暗闇に投げ出されたような恐怖にとらわれていた。
爆発地点から100キロ圏内のこの地も、
行政によってあちこちの公園の芝が剥がされ、
除染という耳慣れない言葉が日常的に使われるようになった。
私も心配でならず、性能の良い測定器を時折借りては、
放射能濃度を調べて回った。
我が家で最も高かった値は幾つだったろうか。
最高で0.8ぐらいだったか。
その時は菜園のものを口にできなかった。
10年も経つと人の記憶は定かでなくなっていく。
記録していた紙を探したけれど、見つからない。
市井の一市民は大体この程度のものである。
ただ事故後2年近くになって、
手つかずのまま放置されていた原発近くの町を訪問した時、
車内で測定器がうなり声を出して、
4.2という高い数字を出したことは忘れられない。
市庁舎に測定器が常設されているのは、
そんな災害を忘れないためにも、また暮らしの安全のためにも、
とても素晴らしいことだと思う。
原発事故などの人災以外にも、
今や未曽有の天災が日常的な出来事となっている。
未曽有、記録史上初、稀有などの非日常の言葉が白々しい。
コロナも然りで、この禍が去った時、
いつかは人々の記憶から消えていくだろう。
でも、コロナは早く消え去って欲しい。