重い腰を上げ、ずっと気になっていた冬物の整理をやっと始めた。
世間では3年着なかった服は捨てるようにと盛んに言われている。
それが整理の一番の近道だと。
確かに3年どころか一冬着なかった服は、
次のシーズンにもおそらく着ないだろう。
でも、私には捨てることは至難の業のようである。
複雑な人の手を経て、私のもとにやってきた服たちを、
そう簡単に捨てることはできないからだ。
ミシン目一つにしても何がしかの意味を感じるのだ。
モノには過去の思い出が刻まれている。
どこかがほころびたりすれば別だけれど、
最近の縫製は安いものでもしっかりしていて長持ちする。
一つ一つ製品のラベルを読んでいると、
それらの縫製国はみな海外だった。
縫製を国内でやっていた時代はとうに去ってしまった。
今や家庭の主婦すらミシンを持たない時代になっている。
思えば、服ばかりではない。
毎日食べている食べ物もそうだ。
何もかにもがグローバル化してしまい、
自国より安いところからモノを調達するようになった。
コロナが収まったら、国内産業はどういう方向に進むだろうか。
少なくとも自給率は上がって欲しいと私は切に思う。
縫製技術はなくなったとしても、食料生産は自国で賄って欲しい。
これは夢物語なのか。
着なかった冬服を衣装ケースに収めながら、
そんなことを思うのだった。