今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

野外ランチの意味は大きい

今日は都会の有名な山を仲間たちと歩いてきた。

集合地の駅からバスに乗っていたら、

ほどなく窓の上に巨大なコンクリートの構造物が見えてきた。

どうやら高速道路のジャンクションらしい。

 

ぐるりと蛇のように曲がって、

決して広いとは思えない里山の風景を威圧している。

まるで人間を支配する無機質な生き物のように思える。

あんなものが民家の屋根の上に見えるなんて、

とても普通の世界では考えられない。

 

でも、それこそが都会の山の景色なのだろう。

降り立ったバス停から何の変哲もない山道をせっせと登り、

2時間ほどで古い腰かけとテーブルがたくさん並ぶ山頂に着いた。

 

腰かけは楽しそうな若者たちでほとんど埋め尽くされている。

そこには茶屋風のお店があって土産物など何でも売っていた。

山菜の天ぷらも、温かいお蕎麦もうどんも、何とかき氷もあって、

手ぶらで来ても支障のない山なのだった。

 

これでは下界と同じではないか。

都会はコロナの緊急事態宣言中だというのに、

田舎からやってきた私は仰天した。

といっても、当のこの私もこうして来ているのだけれど。

 

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私たちは少し戻った人の少ない広場のテーブルに陣取り、

天ぷらを揚げ、持ち寄ったおかずでランチを楽しんだ。

周りには赤い実の付いたキイチゴの木があって、

木々の合間から梅雨の晴れ間が覗いている。

何て美味しいのだろう、何て気持ちが良いのだろう。

 

考えてみれば、外で食べるということに意味があるのだ。

まるで原宿のように込んだ山頂であれ、

こうして野外で食べることが大きな喜びをもたらしてくれる。

 

決して家の中ではなく、外だからこそ意味があり、

また、電車に乗って移動したことに意味があるのだ。

ここにいる人々は、都会の窮屈な空から逃げ出してきたのである。

聞くところによると、この隣の山はここの数倍は人がいるらしい。

 

このコロナの時代だからこそ、なおさらに野外ランチの意味は大きい。

私はそう思い、溢れんばかりの群衆の姿に納得した。