最近とても気になっている言葉に「人流」という表現がある。
ニュースをつければ政治家が堂々と使っているのだ。
民放のアナウンサーも言うのだから一日に何度も耳にするようになった。
「この言葉、何かおかしい」と思って辞書で引いたらなかったし、
ワープロでの変換も為されない。
きっと最初にこれを口にした人は、
人の流れをモノの流れである「物流」になぞえたのだと思う。
人とモノとを同じように扱うなんてまっとうな表現ではない。
ただ単に「人の流れ、人の動き」と言えば済むものを。
言葉というものは生き物だから、
時代とともに変化していくのは避けられないし、若者が省略した言葉を多用したり、
全く反対の言葉を用いるのは仕方がない。
でも、政治家やテレビアナウンサー達が、
そうした言葉を安易に使い、世の中に広めていくのは如何なものだろう。
正しい言葉はきちんと継承されなければならないと思う。
「人流」で思い出したけれど、
大分前にとある土木の見積書に「人足」という欄があって驚いたことがある。
「人足」に数字が書かれていて単価が書かれてあった。
「人足」という表現は、映画用語では通りすがりの人を演じる人のことを言い、
波止場での荷揚げ作業などで働く人も「人足」らしい。
要するに下っ端の作業をする人々のことだ。
こうして考えると言葉の表現が人間の意識をよく表していると思う。
「人流」と事も無げに言えるということは、
人をモノとして捉えることに違和感を感じない人なのだろう。
このコロナ禍において毎日発表される様々な数字を見ていると、
人はモノとして扱われていることに段々と慣らされていくような気がする。