連休前にアマゾンで注文した品がやっと届いた。
休みの間、自宅付近はとても静かで配送車の姿も見かけない。
国道に出ても乗用車ばかりが走っていた。
多分、運送会社も以前と違い、長い休みを取っているのだろう。
連休直前に注文したのがいけなかったのか、
配達予定の時から今か今かと待っていたけれど、一番最後の今日に届いた。
勿論約束通りに届いたのだけれど、待っている間は気が気でなかった。
待つということは時間の概念を変えてしまうらしく、
1日が何日も感じられるほど長かった。
ネットショッピングでは最も高い支払いをしたためもある。
最近はブランドなりすましなどの詐欺が多発しているらしく、
「もしかしたら」などと不安に思ったのだった。
おまけにアマゾンを名乗ったメールが連日続々と来て、
つい注文の関係かと思い、開いてしまいそうになる。
でも、じっと我慢して一週間後待ち、
昨日、やっと「発送完了」のメールがあった。
やはり、運送業者も長い休みを取っていたのだ。
今朝は玄関チャイムに気を付けながら過ごしていたけれど、
お昼過ぎまでチャイムが鳴らない。
たいていはお昼直前に配達されるので、
念のため玄関に出てみたら、台の上に段ボール箱が置いてあった。
置き配だったのである。
「置き配」とは留守がちの家に何度も無駄に配達をしないようにするために、
やむなく行われるようになった配達方法である。
今はコロナの影響もあって対人がなるべく避けられて、
在宅なのに置き配が主流となって来た。
でも、高価な品物だから玄関チャイムくらい鳴らして帰って欲しかった。
凄い時代になったものだと思う。
でも、注文品はうたい文句通りの新品で、
きちっとした保証も効くようで胸を撫でおろしている。
しかし、それにしても「置き配」に対する人間の信頼性は、
一体どこから来たものだろうか。
社会が成熟しているからなのか?