朝から友人と一緒に我が家を出発し、
新幹線に乗って東北の花見の名所へ行ってきた。
仲間みんなで花見をしようという規格である。
ところが、今年は桜がどこも早く、
残念ながら案の定ここもすでに花は終わっていた。
花見の計画は2か月前辺りに決めるので、これはどうしようもない。
それでも広い空の下に並ぶ川べりの桜並木は千本以上もあって、
そのどれもが太い幹をした立派なもので、
容易にその絢爛な有り様が想像できた。
現地に住む案内人の友が、
「コロナでないなら、この道にはびっしりと出店が並ぶのよ」と、
いかにも残念そうに説明してくれた。
コロナがなかったらたとえ花が散っていても、
広い河原は人々でごった返し、こんな風にのんびりと歩けないとか。
私の脳裏には見慣れた花見のあの独特な賑やかさが浮かぶ。
友達の残念な気持ちは痛いほど分かる。
花見も祭りも賑やかに決まっている。
集まることは人の本能だ。
人は集まり身を寄せ合って、何万年も生き続けていくことができたのだ。
あの数えられないほど立ち並ぶ出店はどこにいったのだろう。
チョコバナナやクレープ、綿菓子、ガスボンベで焼くお好み焼き屋さん、
その他色々、一体どこに行ってしまったのか。
コロナの陰で泣いている人々がいる。
その何倍の家族も泣いているのではないか。
株が嘘のように上がって意味不明な景気が続いているけれど、
世界はどうなるのだろうと、私は思わずにはいられない。
花見にはふさわしくない連想をしてしまった。