今日は町の中心部をぶらぶらと散歩した。
いつもは水辺公園などの決まったところを歩くのだけれど、
ちょっと町に用事があったのでついでに歩いてみることにした。
用事を済ませ適当に裏道を何度か曲がっていると、
道の先には古い教会があった。
こんなところに教会があったのか。
そこの庭の桜が遠くから見ても見事で、
開かれた門の中から庭に入ってみた。
桜がひっそりと咲くそこは、カソリックの教会で、
広い敷地内には礼拝堂や神父の館があった。
平日のせいかあたりには人っ子ひとりいなかった。
平日でなくても、
ここはきっといつも静寂の空気が漂っているのだろう。
そんな気がした。
鍵のかかっていない会堂に入ると、
信者の人のものらしいスリッパ置き場があり、
使い古されたスリッパが雑然と並べられていた。
内部は質素でステンドグラスも立派なものではなかった。
裕福な信者は少ないのかもしれない。
私は教会やお寺、神社などの建物が好きで、
旅の途中で見かけた時など必ず参拝してくる。
特定の宗教を信じているわけではないけれど、
そこに漂う静寂さ、荘厳さが心地よいのだ。
この気分は何だろう。
人は自分以外に何か自分を見つめてくれる存在が欲しいのか。
絶対的な存在としての神のようなものが必要なのか。
今、私を見つめているのは誰?
しばらく冷たい長椅子にこしかけそんなことを考えていた。