自分の過去の栄光を全く見知らぬ人に話すのは、
はたで聞いてて良い気持ちがしない。
今日は公園のベンチでそんな年配男性に会った。
近くにいたので耳に入ったのだけれど、
どうやら話している相手は通りすがりの若いご夫婦だった。
私の目には彼らは早くその場を去りたいふうに見えた。
t彼らにその人の過去の栄光など興味があるはずもない。
だが、たまたま挨拶をした相手が自分のことを話し出し、
聞く羽目になったのである。
確かにその人がやったことは凄いことだった。
私の脳裏に『地上の星』のイントロが流れ始めた。
でも、質問もされていないのに、
自分のことを自慢げに話すのは如何なものだろう。
人格者は自分のことを自慢したりしない。
自分の価値は他人が話して初めて本物となるものだ。
老いていくと過去の日々が栄光に満ちていれば満ちているほど、
過去にしがみつこうとする思いが強くなるのだろう。
過去にしがみつくか単なる記憶として思い返すのは大きく違う。
前者の過去の時間差は、はたで見ていて滑稽なほどだ。
その場を去ってからよくよく考えてみた。
全く関係のない私がひどく不快に思ったのは、
その男性に自分の姿を見たからではないか。
私もきっとそんな面が大いにあるのではないかと。
「人の振り見て我が振り直せ」
今日はその言葉を思い出した。
反省、反省。