知人にお土産を渡すのに手作りの品を二つ、ラッピングした。
瓶詰のジャムは我が家の庭で採れたイチゴで、
袋入りのものは今新しく試みているクッキーみたいな菓子で、
別に大したものではない。
でも、ジャムは道の駅などで売っているものと比べたら何倍も美味しいし、
手間だけはひどくかかっているが、毎年実ってくれる大地からの贈り物だ。
お菓子は胡桃などが入った素朴なもので、添加物は入れてないし、
知人はそういうものが好きらしいと聞く。
ラッピングして思うのは、最近の過剰包装をやめようという潮流。
もちろんゴミ減量化には大賛成だし、
地球の藻屑となるマイクロプラスチックには大分前から危機感を抱いていた。
昨今の動きはとても良いことだと思っている。
でも、こうして自作の品を他人にプレゼントする場合、
ラッピングはとても大事だと思う。
個別の包装はやめても、せめてきれいな袋に入れて渡したい。
お店の人もそう思うから過剰包装が当たり前になったのだろう。
差し上げる二つの品を可愛いマカロンの袋に入れてみる。
こうした頂き物の高級感のある紙袋は、
いつも捨てないでとっておいているから山とある。
すると、品物を裸で差し上げるのと比べると、
中身は何一つ変わらないのに、
商品価値が格段に上がったような錯覚にとらわれる。
かつての商品はこれでもかとばかりの包装だった。
その包装分が高い値段になっていたのだろうか。
それとも美しい包装でないと品格が落ちるからなのか。
ただの中身だけでは勝負できないとは面白い。
これは、きっと、人はものに関して言えば、
何より視覚から判断するからなのではないか。
その上で、人は豪華なものや美しいものを好む。
中身で勝負したい私だが、ちょっと気になってしまった。