今日は山間の家で薪ストーブを焚いた。
薪ストーブ歴は結構長いのだけれど、
しばらくやっていないのでとても懐かしく、
そのオーロラのようにゆらめく赤い炎には心を躍らされた。
視覚も暖房効果の大きな要素であるとあらためて思う。
それは灯油や電気では決して味わうことができない豊かな時をもたらす。
もちろん部屋が温まるまではかなり長いプレヒートの時間を要するけれど、
炎を見つめながらのプロセスを楽しめる者にとっては得難いひと時だと思う。
ひとたび部屋が暖かくなってくると、
その暖気は家の隅々までに行きわたるから薪ストーブの威力は凄い。
また火おこしの朝も灰の中の埋火で前日の温かみが残っているので、
家全体が柔らかい暖かさに包まれていて冷たい朝も震え上がることはない。
最近の輸入品は研究を重ねられ、
二重煙突の構造は煙も少なく昔とは大きく変わっている。
かなり場を取るが、見た目も重厚で頑丈そうだ。
とはいえ、薪ストーブは今や手間のかかる贅沢品である。
なぜなら乾燥した薪は灯油よりも値段が高く、
山持ちの人も少なくとも2年前から薪の準備をしなければならない。
またその薪置き場もスペースを取り、都会では不可能に近い。
薪ストーブをやりたい人は、
家々の込まない山間の地に移住しなければならず、
この頃はそんな若者も増えているらしい。
文明の進歩が返って縄文時代の血を騒がせるのかもしれない。
薪の火を自由に使えるキャンプがとても流行しているのはそのせいだろう。
久しぶりの薪ストーブ体験は心が浮き立った。
そして、薪準備のついでにナタを使って割り箸ほどの長さの小さな薪を作った。
これはいつかやろうと思っているソロストーブ用である。
のんびりと読書でもしながら時を過ごすために。