先日、しばらく来なかった旅行会社からパンフレットが届いていた。
いつもの厚みはないけれど、相変わらず色はけばけばして鮮やかだ。
コロナウイルスが騒がれ始めた頃、
日本でも横浜港のクルーズ船の話題が持ちきりの時も、
旅行会社から豪華クルーズ船の旅のパンフがいつもと変わりなく届いていた。
パンフを手にするとその極端な時間差に、
まるで浦島太郎になったような錯覚に囚われそうになったほどだ。
巨大化された経済の複雑な仕組みで、
旅行の企画と印刷や発送は別になっているのだろう。
少なくとも2か月の時間差がある。
そう思い、あきれながらもページを捲った私だけれど、
さすがにしばらくして来なくなった。
今回、久しぶりに郵便受けに入っていたパンフは、
何と『Go To Travel』を謳ったものだった。
これもまた何となく浦島太郎になった気がした。
最早この言葉は『ステイホーム』と同じく、
耳にしなくなったからだ。
『Go To Travel』(旅に行け)キャンペーンは誰が考えても政府の失策で、
コロナ急増の油に火を注ぐようなものだった。
パンフは国内旅行のカタログだったけれど、
旅行会社はこのキャンペーンで起死回生を図っていたのだろう。
マスク全戸配布と同様に何かちぐはぐで腑に落ちない。
さて、人は何としても暮らし続けなければならない。
家族がいたら家族共々息災に暮らし続けなければならない。
でも、かつて心配もしたことのないウイルスという厄災には個人で立ち向かうことは難しいから、せめて人並みに暮らし食べていきたい。
人とは私でもあり他の人でもある。
だからこそ、『Go To Travel』のパンフを見ながらこう思った。
災害復旧予算を除き、『Go To Travel』に割り当てたお金も、
不要不急の科学や軍事などの予算も、
全て医療関係や休業要請の職場に回せば、
半年以上は持ち応えるのではないか。
その間に徹底してコロナを封じ込めるのだ。
世間では働き手の万一に備えて貯蓄をしている。
せめて半年、1年ぐらいは危機を貯蓄でしのげるように準備しているのが常識だ。
それと同じように国の家族とは国民で、国のお金は今こそ困った人たちに回すべきだ。
ましてや国民は税金を納めて国の国庫に入れている。
『Go To Travel』などの不確かな手応えよりも、
きちっと決まったお金を、
旅行会社社員やその他のサービス業の休業補償にできないのだろうか。
そうしたら、もう少しのびやかに毎日を過ごせるのではないだろうか。
そして、ある日目覚めた時、厄災ウイルスのニュースが全くないがやってくる。
そんな日がむしろ早く来るのではないか。
これはクーラーのない家に住む私のただの真夏の夢だろうか。
(写真 ステイホーム中に来ていた豪華旅パンフ)