若いころ、マグリット・デュラスの映画を観た。
題名は『ラ・マン』(愛人)だったか。
水のある風景、海水に浸る広い不毛の原。
そして、メコン川。
水とは人間の根源的な原子の在処のような気もする。
それが、水辺公園を歩くといつも頭を過ぎるのだ。
当時、サイゴンはフランスの植民地で、
仏人の母親は騙されて毎年のように水に覆われるそんな土地を買った。
様々な家族の葛藤があり、主人公の娘は良からぬ恋に走る。
音楽はショパンのワルツだったと思う。
だから、ショパンを聴いても思い出すし、
水辺公園を歩くとショパンの旋律を風の中に探す。
作者デュラスの母親は病的なほど食料を保管していた。
現地で教師をしていたが、
未来に対して食べられなくなることへの恐れがあったのだろう。
人は食べるために一生懸命に知恵を絞り働く。
『ラ・マン』の頃は食べるためが多くを占めていた。
だが、今はどうだろう、私を含め人々は遊ぶために叡知を巡らす。
現に今、岸辺には食べない魚に釣り糸を垂らしている男たちがいる。
彼らは立派な竿を持ち、駐車場にはワゴン車を置き、
水辺で日がなただ釣って遊ぶだけの人たちだ。
「ホモ・ルーデンス」とは「遊ぶ人」のことを言い、
人は文化芸術よりも先に遊びがあり、
その遊びによって文化が作られたという。
科学技術が進歩するにつれて遊びの占める割合が大きくなり、
南極までも普通の人が旅するようになったが、
今回のコロナで痛烈な巻き返しを余儀なくされている。
ぼんやりと霞たなびく水辺を眺めながら、
久しぶりに一周していたら、
取り留めもなくこんなことを思ったのだった。