人には毎日同じことをするルーティンワークがある。
それは人の数だけあってそれぞれがみな違う。
私の場合、この言葉は日本語ではなかなか感じが伝わらない。
「毎日の繰り返される行動」と意味を書いても何となくピンと来ず、
「ルーティンワーク」と言われたら、すんなりと頭に入ってくる。
仕事に行く人は、電車に乗るというのも朝のルーティンだろうし、
農家の人が畑を見に行くのも朝のルーティンといえる。
子供が学校に行くのも朝のルーティンだ。
私の朝のルーティンは食事の用意だ。
この言葉を題名につけた動画はたくさん出ていて、
いろんな人が自分の何の変哲もないルーティンワークを撮影し、
広く世界に発信している。
ある人は起きるとすぐに紅茶をいれたり、コーヒー豆を挽いたりする。
趣味嗜好や立場によってルーティンが違うのは当たり前なのだけれど、
なぜか他人のルーティンを覗き見るのは面白い。
先日、友人が新しくルーティンにしたことを教えてくれた。
コロナ禍の外出制限がきっかけで、新聞の記事をノートに写すようになったそうだ。
ずっと続いているというから感心する。
なかなか知的なルーティンではないかと、友人を見直した。
さて、私がコロナ禍で新しく取り入れた知的ルーティンは何だろうと首をかしげていたら、
友人が「『ペスト』を朗読してるじゃないの?」と言った。
そうか、朗読作業も新しいルーティンになっている。
あれが終わったらまた何か探してみよう。
私の場合、ルーティンワークは多いほどいい。