ショッピングセンターで品物を見て回っていたら、
ひどく疲れてしまった。
10分ほど歩いただけですぐにベンチに座り、
またしばらくしたら立ち上がる。
一時間ほどの買い物の間、そんなふうに休憩を繰り返した。
ベンチがあちこちに配置されているのはそのためなのか。
遠くのベンチにも私のような人が座っている。
広い店内には適度な冷房が効き、
汗ばむこともなくきわめて快適である。
なのに、きつい傾斜のある山や公園、
そういった自然の中での歩きと比べると、
とても疲れる。
ベンチに座って考えていると、
どうやら陳列品の多さがそうさせているのではないかと思った。
お店にはたくさんの品物が並んでいる。
様々な色で形もデザインも違う。
シャンプー一つとっても数えきれないほどだ。
保冷用品も然り、弁当箱も然り…。
選ぶのは至難の業と言える。
でも、果たしてこんなに多くの種類の品物を誰が買うのだろう。
消耗品ならいざ知らず、一度買ったら二度と買わないようなものでさえ、
山のようにあるのだ。
家にあると、むしろ捨ててしまいたいものばかりで呆れてしまう。
それらは誰かが販売企画に基づいて作っているのだ。
需要があると信じて開発したものだ。
膨大なエネルギーがお店を支えている。
さて、モノを作ろうとする欲望があるのは人間だけである。
多分、それは本能なのだと思う。
だから、これらの品々は人間の欲望が生み出したものである。
資本主義とは欲望の爆発で、欲望は否定されてはいけない。
自由主義経済の正しい姿がここにあるのだった。
「ホモ・サピエンス」(人間の学名)とは「ホモ・ファベル」(モノを作る人)なのだ。
でも、それにしても多すぎる。
買い物はそれらを見て選んで回るので、
そのうちいつの間にか目の焦点が合わず、
何が必要だったかも忘れ、心底疲れてしまった。