ロシアの大文豪ドストエフスキーの大作を聞くために、
タブレットをあちこちに移動させつつ、
雑巾がけなどをしている。
そうすると、面倒な家事も楽にできるから面白い。
ゴーゴーと音の出る掃除機を使っている時は停止するけれど、
食事を作る時も目の前の棚にぶら下げてつい聞いてしまうほど。
人が見たら呆れられるかもしれない。
朗読を知る前はラジオのニュースをつけていた。
どうやらネット朗読拝聴が癖になったみたいだ。
といっても、作品世界が壮大で面白いからである。
もともと西洋の翻訳文学が好きなのだけれど、
あまりの長いのは最初から手にしてなかった。
それが、朗読を聞いていると夢中になってしまう。
字を目で追って読むのと違い、
朗読者の独特な読み方でも雰囲気が変わり、飽きないのだ。
19世紀のロシアの貴族や農奴といった日本と違う社会制度も興味深い。
今日は小説の中で「老人」という表現にとても驚いた。
主人公の年を50近くの「老人」と言っているのだ。
50近くと言えば今ではアラフォ世代でむしろ若い方に属する。
40代で子を持つ女性も珍しくなくなったし。
この時代は40過ぎたらもう立派な熟年だったのか。
今は65歳過ぎないと老人とは呼ばれないから、
現代はかなり幼児化しているとも思える。
そういえばこの頃は大の大人がゆるキャラに喜んだり、
子供っぽいゲームに夢中になったりしている。
国営放送のまじめなキャスターさえ、
「出かける天気、帰る天気」などと幼稚な表現をする。
余談だけど、へそ曲がりの私は、
初めの頃は天気が出かけるのかと思い、笑ってしまった。
できれば「朝の天気、夕方の天気」に戻してほしい。
それがダメならせめて
「出かける時の天気、帰る時の天気」に直してもらいたい。
そんなふうだから、昭和の頃に訳された翻訳小説は、
正しい日本語で、決して耳障りもなく、聞き飽きることもなく、
申し分ない癒しの時を私に与えてくれる。
(写真 シュロの木が庭の隅に出ていたので根元から切った)