毎朝コーヒーを落とした後、
最近はその使用済み豆カスをドリップごと窓から投げて、
外に置いた容器に入れている。
人の目に入るところでないから見た目に問題もない。
わが家は食品かすはすべて家庭菜園用の肥料にするので、
いちいち中身を出すのが面倒でそうしているのだった。
これはいいアイデアだと自我自賛している。
コーヒーは毎朝ドリップで落とすから、
計算するとひと月で30袋以上できる。
だから、袋の山となる。
それを容器から地面にひっくり返すと、
適度に乾いた豆カスはさらっとして離れやすくなり、
畑にばら播いて放置する。
そのうち土になってしまう。
一年分だと相当な量だし、
日本中だと天文学的な土となる。
お茶ガラも同じことが言える。
濡れたコーヒー豆や茶殻を焼却炉で燃やすのは不自然だ。
コーヒー豆の産地は日本茶と違って、
アフリカなどの恵まれない国に多い。
以前聞いた話では、産地の人は口にできない高価なものらしい。
そんな遠くから運ばれた飲み物を、
当たり前のように飲み続けている私たち。
何て贅沢なのだろう。
せめて土に戻さなければ罰が当たる。
もし、産地の人も私たちのように毎朝飲むようになったら、
きっとコーヒーの流通体制が根底から変わってしまうかもしれない。
また飲む習慣のなかった中国の人たちが多く買うようになったというし、
そうなると価格は吊り上っていくだろう。
かつては日々進歩すると思っていた経済も社会も
何もかも不確かな時代になってしまった。
コーヒー豆一つにしても考えると複雑だ。
温暖化ストップという提言も、
産業革命以来やりたいだけやってきた先進国のエゴにも感じる。
後発の国は私たちがやってきたような便利さや快適さを求める権利がある。
ジェット機に乗ってコーヒーを飲み、資源を食い尽くす権利があるのだ。
事態は深刻で根が深い。
コーヒーかすをドリップから振るい落しながら、
そんなことを思う私だった。