今日は朝から鈍色の雲が空にたなびき肌寒かった。
冬がすぐ近くに来ているようだ。
今年は夏が長くて、先月も厚手の長袖は必要なかったので、
まだ衣類はそのままである。
こんな暗い日より日の当たるお天気の時にやればいいものを、
用がなかったので、
お布団やカーペットなど大型のものもついでに出した。
広い家だったら一つの部屋を冬用のものを保管し、
一つの部屋を夏専用とすれば、
この面倒な服の入れ替えをしなくて済む。
衣類の入れ替えをするたびにそんなことを思うけれど、
一体全体それをやっている家はあるのだろうか。
大邸宅に住む上級国民?は帽子専用の部屋もあると驚きだが、
たいていの庶民は夏冬の入れ替えをこうしてせっせとしているのが現実だ。
でも、もし持ち物が極端に少なかったら、
今ある我が家のクローゼット二つを夏と冬に分けておけるかもしれない。
クローゼットには夏物と合服だけでも相当数の服がかけてある。
半分は何年も手を通していないから、
それらを思い切って捨てればよいのだと思う。
なくなればすっきりすると分かっているのにそれが出来ない。
何しろいつか使うものもあるし、
これまで捨ててしまったもので後悔しているものも多いからだ。
だから、断捨離とは程遠い生活をしている。
でも、どうだろう?捨ててしまうのは美徳なのか。
物が溢れ、その結果が「断捨離」という発想だとしたら、
何かが違うのではないか。
物には一つ一つ制作の過程があって時代背景がある。
もちろん愛着もそれにまつわる思いでもある。
それらを再び生かすことを考えてみることも必要だ。