今日は近くの公民館に集って友人と合奏の練習をした。
今までは猛暑だったため、
とても嬉しかったクーラーのある練習室が、
今日は少し涼しくなったためそんなに有難く感じない。
直射日光を遮断するためいつもしっかり閉めていたカーテンも、
開けたままにしても全然気にならない。
現代人の皮膚感覚というのは勝手なものだ。
どんなに暑い日も時が過ぎればこうして涼しくなり、
やがては寒くもなり、この暑さが恋しくなる。
人間の一生の間、大体そんな感じで季節は廻っているし、
その経験が未来をあたかも約束しているかのようだ。
でも、それは、今までの常識。
実は地球環境は大きく変わって、
もしかしたら、この先は季節がなくなり、
ずっと暑い夏やずっと寒い冬が続くとも限らない。
近視眼でしか見られない人間の物差しで測ると考えられないけれど、
地球的な物差しだったら何だってありうる。
この地球に人間が現れてから気の遠くなるような時が経ち、
その間、考えられないほどの気候の変動があった。
ずっと夏やずっと冬になったら作物が育たない。
火星にロケットが着陸したって、ドローンが飛び交っても、
一粒の米の価値もない。
人々は食糧を求めてお互いに闘い、そのうちいずれは滅びる。
150年も前に書かれたチェコの作家の曲を聴きながら、
あの頃のプラハの気候はどうだったのだろうかと、
ヴルタヴァ川(モルダウ)にかかるカレル橋を歩いた日をふと思い出した。