今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

焚火とともに過ごす至福の時間

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新緑の眩しい森のコテージでたき火の炎を見つめた。

この辺りは標高千mを越す山の麓で、

近くに流れの早い沢もある穴場的な遊び場だ。

だから、黄金週間にはここを知る人ぞ知る人たちが集まってくる。

 

コテージの周りの木々を拾い薪にする。

もちろん自宅から木炭やまきを持ってはきている。

だが、枯れ木の炎の美しさは格別だ。

 

パチパチとあっという間に燃え尽きてしまい忙しいけれど、

残り火に枝を置くとすぐに燃え盛る。

下に置いた大きな丸太もいつの間にか赤く色づいている。

炉の周りに落ちていた木々は白い灰に変わった。

 

遠い国の油がなかった時代、

里の山は今と違ってすがすがしく美しかったに違いない。

人間がこうして関わるため、

下草もフデリンドウやスミレの花でいっぱいだったと思う。

 

コテージは何棟かあってあちこちから炎が見える。

もちろん白い煙もだ。

辺りには燻製みたいな匂いが漂っている。

 

人々は思い思いにテーブルを囲みワインなどを飲んでいるようだ。

まだ外は薄暮の時。

煙の漂う森には独特な穏やかさがある。

 

たき火が自治体の条例などで禁止されてから久しい。

おかげでずっと歯がゆい思いをしてきた。

庭の落ち葉すら生のままゴミ袋に入れなくてはならない不条理。

 

原始の昔からプロメテウスの火は人とともにあった。

この炎こそが人間の存在そのものだ。

なのに日常の暮らしから炎は消え、

DNAに残る欲求すらも去勢されてしまった。

 

ここに集いたき火で肉を焼いている人たちは、

私と同様そうした文明に抗っているのかもしれない。

たき火が非常事態の時にしか許されない現代は絶対におかしい。

どうにか昔のようになってほしいと強く願う。

 

そんなことを思いながら、はじける火の粉を見ていた。

(撮るのを忘れたため写真は別のもの)