今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

年賀状は出さなくなった

この時期になると年賀状のことが気になる。

この頃は賀状を出さなくなったけれど、

それでも毎年何人かの律儀な?人から届く。

 

そういう人はパソコンで宛名を管理しているから、

自動的に出しているのだろう。

本文も宛名も印刷だったら、むしろ出さない人よりも冷たさを感じる。

 

また全然会うこともない人の頼りももっと白々しい気がする。

写真など印刷されていると数年後に捨てるのも心が痛む。

 

10年も親交がないのに、師走の初め頃に私のことを思い出しているのか、否か?

有難いような迷惑なような複雑な気持ちだ。

賀状を頂くより時折連絡してもらった方が嬉しい気もする。

私はへそ曲がりなのか。

 

それでも、返事は一枚一枚手書きで書く。

少し絵を描いて添えるので、それを楽しみにしているという相手もいる。

そのため正月の日々は賀状書きに追われ困ってしまう。

 

返事を出さなければもう来ることもないと思うのに、

失礼はいけないと書いている。

でも、もう返事もやめようか。

 

賀状はいつ頃から始まったのか?

おそらく郵便事業の一環で始まったのだろう。

まさか江戸時代ではあるまい。

とすれば決して伝統的な文化でもない。

今のメールやラインのような流れの一環かも。

 

郵便局で賀状を勧められたけれど、今年はまだ買っていない。