絵画の展覧会を見るのは大好きで
たいていの企画展には行っている。
でも、人には好みがあり、
どんな題材やどんな芸術家でもいいというわけではない。
私にとって今回のルオー展はそのことを思い知った。
何しろほとんどがキリストの受難の顔の絵ばかりなのだ。
一枚だけではなく、これでもかとばかり同じ主題が続いて、
どういうふうに理解してよいのか困ってしまった。
キリスト受難の絵は聖画といって「イコン」という。
今回の展覧会鑑賞で私が芸術に求めていることがよく分かった。
それは実に平凡で、心のやすらぎを求めていたのだった。
イコンはむしろ心を悩まさせる。
なぜ彼はあれほど何枚も同じ題材を描けたのだろう。
苦しくはなかったのだろうか。
明るい光に満ちた自然の美しい風景を描けば心安らげたのでは。
彼はイコンを描くことによってやすらぎを得ていたのだろうか。
神と向き合うことによってやすらぎを得るのは、
キリスト者でなければ分からないことである。
私は心の中の苦悩をむき出しにするような絵画は安らげない。
自分がいかに無宗教的なのかということだ。
キリストへの信仰がない日本人が、
イコンの絵にタイトル通りの神の愛を感じることが出来るのだろうか。
つくづくそんなことを思った展覧会だったが、
終盤でステンドグラスの光が床に投影される演出がなされていて
その光にはなぜか救われ、神聖な気分に浸ることができた。
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